1982年の Gaudi
2012/12/21 作成
2021/04/26 更新
このページの内容は、旧ホームページ「とのちのオーディオルーム」からの転載ですが、重複部分の削除など一部編集しています。
1982年1月、卒業論文を書き終えて時間的ゆとりができたところで、念願のマルチアンプ・システムを実現しようと一気に4台の機器の製作を開始しました。レコード・プレーヤー
PS-104、ツィーター用パワーアンプ MA-205、チャンネル・デバイダー CD-206、スピーカー SS-307 の4台です。製作は就職後の研修期間にまで及びました。7月頃、ついに念願の3ウェイ・マルチアンプ・システムを実現しました。
ただし、ミッドレンジにホーン型を採用する経済的ゆとりがなく、それまで使用していたフルレンジのフォステックス FE103 の姉妹品である FE106シグマを使用しました。これがけがの功名となり、ひとつのアイデアが生まれました。それは、FE106
をミッドレンジとフルレンジに切り替えられるようにする、つまり3ウェイ・マルチアンプ・システムとフルレンジ・シングルアンプ・システムとを切り替えて使えるようにするというものでした。じっくり鑑賞したいときにはマルチアンプで、BGMとして聞き流したいときにはフルレンジで、というように使い分けることにしました。
一気に4台を製作したため、予算の配分にはメリハリをつけました。一番奢ったのはツィーターです。フォステックス T925 は私には贅沢すぎるという気もしたのですが、末永く使うことを前提に、思い切って購入しました。2本で35,000円ぐらいだったと記憶しています。この判断は正解でした。T925の音質は素晴らしく、システム全体のグレードを引き上げてくれました。ツィーターが低音にまで影響力を持つということを、T925によって初めて知りました。
それ以外のパーツに関しては、中古品や掘り出し物を使用することによって、予算を抑えました。ウーファーのパイオニア PW-A31 はMJ誌の「部品交換」の欄で売りに出されていたものを購入しました。ミッドレンジは、前述のように、フルレンジ・ユニットで代用しました。
プレーヤーのパーツは、秋葉原で掘り出し物を探して購入しました。ちょうどCDが登場した頃なので、アナログプレーヤー関連のパーツは大幅に値引きされているものが多かったと記憶しています。トーンアームのグレースG-1040は、定価28,000円のところ16,000円で、ターンテーブルのソニーTTS-8000は、定価80,000円のところ19,800円で購入しました。いずれも新品です。
アンプ類は徹底的にコストを抑えました。ウーファー用パワーアンプはまともに作れば高くつくので、中古パーツを使用することにしました。ちょうどMJ誌の「部品交換」欄に部品もぎ取り用として 6CA7 PP の自作アンプが売りに出されていたので、それを譲ってもらいました。少し手入れしたら使えるようになったので、そのまま使うことにしました。
ミッドレンジには MA-201 を使用しました。ここでちょっと思い違いをしていました。当時 MA-201 の最大出力は20W+20Wだったのですが、購入した6CA7
PP は40W+40Wでした。一方ミッドレンジの FE106シグマ の能率が90dB/Wで、ウーファーの PW-A31 が93dB/Wと、ミッドレンジの方が能率が低い組み合わせだったので、ウーファー用とミッドレンジ用のアンプは逆にしたほうが正解でした。見た目の印象で、ついウーファーの方に大出力アンプが必要な気がしてしまうのですが、それは間違いで、能率の低い方によりパワーのあるアンプを使用するのが正解です。
ツィーター用の MA-205 は、初めて自分で回路を設計したアンプです。コストを抑えるため、複合管(6GW8)を用いたり、値段の安い出力トランスを採用し、最大出力も4W程度にしました。
CD-206 には安い部品ばかりを使い、製作費を1万円以下に抑えました。
初めて3ウェイ・マルチアンプ・システムの音を聞いたときにはとても興奮しました。特に重低音が出るようになったのがうれしくてしようがありませんでした。それまでずっとフルレンジばかりを使っていた私は、重低音に飢えていました。この頃から、それまでほとんど興味がなかったロックを聴くようになりました。一番のお気に入りはザ・ナックのマイ・シャローナでした(LP、ザ・ナック、
ゲット・ザ・ナック、Capitol ECS-81250)。毎日のように聴いていたのを覚えています。