1974年の Gaudi

2014/12/26 作成
2021/04/25 更新

このページの内容は、旧ホームページ「とのちのオーディオルーム」からの転載ですが、重複部分の削除など一部編集しています。


この年、Gaudi のシステム設計を完了しました。ただ、Gaudi という名称はまだなく、名無しでした。
マルチアンプ・システムでは、必然的にアンプはセパレート式となります。それまで、プリメイン・アンプしか持っていなかったので、まずはプリアンプとパワーアンプを製作することにしました。
NOBODYブランドの記念すべき第1号機、管球式パワーアンプ MA-201 を製作。続いて、第2号機、管球式プリアンプ PA-202 を製作しました。この頃は若かったので、体力任せに連日深夜まで作業したため、製作期間は短かったと思います。

スピーカーとプレーヤーはそれまで使っていたものを流用し、シングルアンプ・システムを組みました。

Gaudi in 1974

スピーカー

Altec 403A

秋葉原のオーディオ・ショップで購入したショップ製の2ウェイ・スピーカーで、使用ユニットはアルテック 403A(20cmフルレンジ)とテクニクス 5HH17(ホーン・ツィーター)でした。2ウェイといっても、ネットワークはツィーターに直列に接続されたコンデンサー1個だけで、アッテネーターはありませんでした。403Aは帯域が狭いので、うまくツィーターとつながっていたと思います。ただ、ツィーターの方がやや能率が低かったので、アンプのトーン・コントロールで高域をブーストして使っていました。
エンクロージャーはパーチクルボード製で、バスレフ式でした。
このスピーカーの音は、あまり印象に残っていません。特に可もなし不可もなしといった感じでした。あまり長く使わずに、すぐに中学時代に製作したフォステックス FE103 を使用したスピーカーに戻してしまいました。

Altec 403A w/o grille

このスピーカーにはひとつ想い出があります。高校2年生の時の文化祭で、私のクラスは出し物として音楽喫茶をやりました。機材はクラスの中のオーディオ好き数名が持ち寄りました。私はプリアンプPA-202とこのスピーカーを提供しました。教室の中で鳴らしたところ、自分の部屋で鳴らすよりもずっと張りのある、歯切れのよい音で、ちょっとびっくりしました。来場者やクラスメイトの間でも好評でした。自分の部屋は音響的に問題があるということがはっきりわかりました。
このスピーカーは家に持ち帰ることなく、このスピーカーを気に入ってくれたクラスメイトに売ってしまいました。つまり、文化祭を商談の場として利用してしまったわけです。
ちなみに、この音楽喫茶のキャッチ・コピーは「聴きに来ないか」でした。当時サンスイのショールームでやっていたイベントの名称をぱくったものです。


プレーヤー

プレーヤーは中学生の頃自作したものを流用しました。
ターンテーブルはソニーTTS-2400というベルトドライブのものを使用していました。モーターはサーボ制御されていたので、回転数の偏差もわずかで、ワウ・フラッターもほとんど感じませんでした。ベルトドライブのため、モーターの振動がターンテーブルに伝わりにくいという特長もあり、なかなかの優れモノでした。価格もそれほど高くなかったと思います。欠点はベルトの寿命が短いことで、スペアがいくつあっても足りませんでした。

audio-technica AT1005/II

トーンアームはオーディオテクニカ AT-1005 Mk II でした。定価8,800円(発売当初は6,900円)という普及型で、単売されているトーンアームとしては最も安価な部類でした。針圧印加用のウェイトがカウンター・ウェイトとは別になっていて、アーム本体をスライドする構造になっていました。この針圧印加用ウェイトはアームの防振を兼ねていたのですが、この構造は明らかにアームのイナーシャを増大させてしまい、トレース能力を落としていました。

カートリッジには、サテンM-14を使用していました。M-14は空芯コイルを使った高出力MC型で、ゴムダンパーを使用していない、針交換可能などの特長を持っていました。MC型らしいクリアできめ細かいサウンドをMM型と同じで手軽さで味わえる貴重なカートリッジでした。価格も手ごろで(確か買い値は1万円ちょっとだったと思います)、大変良心的な製品でした。
1982年、どうしてもM-14を売ってほしいという友人に売ってしまったのですが、今でも後悔しています。もし今M-14と同等のカートリッジが入手可能であれば、迷うことなく買ってしまうでしょう。

スペアのカートリッジとして、SHURE M75、ELAC D355E を使っていました。SHUREは米国で、ELACは欧州でMM型のパテント・オーナーでした。この2機種は典型的な中級グレードのMM型カートリッジといえます。音質的には M-14 にはやや及ばない存在でした。

キャビネットは自作品です。ターンテーブルとアームの取り付け用の穴をくりぬいた15tラワン合板を4枚重ね合わせたベースの上に、オーディオショップ製のトップボードとダストカバーを取り付けたものです。キャビネットを箱の形にせず、ラワン合板を重ね合わせるというアイデアは、長岡鉄男氏の発案で、氏は「バウムクーヘン」と呼んでいました。バウムクーヘン・キャビネットは製作が容易であり、かつハウリングに強いという特長があります。

この頃聴いていた音楽

一番よく聴いていたのはジャズで、時々クラシックも聴いていました。一番のお気に入りは、鈴木勲カルテット+菅野邦彦の BLUE CITY というアルバム(SUZUKI ISAO QUARTET + 1, BLUE CITY, TBM-24)で、レコードが擦り切れるぐらい何度もかけたものです。いつか鈴木勲のベースの音を完璧に再現してやろうと思いつつ聴いていました。